岩手県陸前高田市長 戸羽太さん

奇跡の一本松で知られる陸前高田市。その陸前高田で、震災直前に市長に就任されたのが、戸羽太さんです。震災を、そして復興の姿を最も間近で見てきた戸羽さんは、陸前高田について何を思うのでしょうか。 2015.03.11

プロフィール

Interview for 3.11 vol.5

現陸前高田市長。2011年東日本大震災直前に就任し現在2期。著書には、『被災地の本当の話をしよう~陸前高田市長が綴るあの日とこれから~』(ワニブックスPLUS新書 2011年8月)、『がんぱっぺし! ぺしぺしぺし!陸前高田市長が綴る"復興を支える仲間"との732日』(大和出版 2013年3月)がある。


家族のそばにいれなかったことについて考えることが多い

―東日本大震災は戸羽さんが陸前高田市長に就任した直後に発生しています。震災が起きた当時何を思いましたか。

私は、当時ずっと忙しかったのですが、たまたまその日だけは暇で市役所にいました。14時40分に妻に電話をして「今晩早く帰れそう」ということを伝えていました。その時はこの後何が起こるのかなんて分からなかったですけど。「今日帰ったら焼肉食べに行かないか」と。これが最後の会話になりました。
私自身が、今でも考えてしまうのは、市長としての自分と夫としての自分、父親としての自分どれを優先すべきだったかということです。震災が起きた翌日、私は人づてで子供たちの無事を知りました。でも、女房の話は出てきませんでした。その時本当は子供たちの所に行ってあげたかったけど、自分は市長ですから行けません。当然市長という立場が優先されます。子供二人は小学生で、二人だけで避難をしている。親の安否も分からない中不安に思っていたと思います。それでも行ってあげられない自分に苛立ちを感じていました。心の中で市長なんて辞めてもいいとまで思いました。
今震災当時のことを振り返った時に、当然市長としての思いもありますが、家族のそばにいれなかったことについて考えることが多いです。

陸前高田4

―私たちが提携しているプログラムで陸前高田に言った多くの参加者が「奇跡の一本松」のことを話して下さいます。莫大な維持費に反対の声もあったとお聞きするのですが、市長が奇跡の一本松を残した理由は何でしょうか。

確かにネックになったのが、お金でした。
1億5千万かかるということになったんですが、税金で出すわけにはいきません。そこで、寄付という形を取ることにしました。それも、企業から大きな金額を集めるのではなく、個人から数百円までと決めて寄付を募ろうとしたんです。なぜなら、寄付してくれた人の中には、「奇跡の一本松、陸前高田ってどうなっているんだろう?」と気にしてくれる人がいるかもしれないからです。
陸前高田と人をつなげたいという思いで、個人からの寄付を募りました。お金は確かにかかりましたが、陸前高田について、この一本松を通して知ってもらえた人も多いと思いますから、決して高くないものだったと思います。また、当時私は、この震災から数年という早いスピードで復興して日本の力、日本の技術を世界に見せようと政府に提案しました。でも受け入れてもらえませんでした。
よって、最先端の技術を駆使した「奇跡の一本松」を保存することによって、日本の底力のようなものを世界に知って欲しかったという側面もありました。

「ノーマライゼーションという言葉のいらないまち」

―なぜ政府には戸羽さんの数年で復興しようという提案が受け入れられなかったのでしょうか。

当事者意識が薄く、危機意識も薄かったからだと思います。
彼ら政府の人たちは、実際に被災をしている我々と気持ちを共有していないと思っています。だから、支援物資を送るとき「水とカップラーメン送っておけ」となるわけです。
カップラーメンのお湯を沸かすことができると思いますか?
また、気仙中学校の復旧を国にお願いした時には、災害復旧の基本は、同じ場所に同じ規模で復旧をすることですから、あの場所に建てるのであれば復旧すると言われました。
津波が天井まで被って全壊した場所にまた同じ建物を建てて、そこで子供たちに勉強させる気ですか?と思いますよね。
(政府の人たちは)あまりにも現実が分かっていないように感じます。臨機応変に対応できていませんでした。南海トラフ沖地震のことを話すのであれば、我々の困ったことを生かして法律などを変えて頂きたいですね。

陸前高田市長2

―私たちは多くの学生を被災地に送る仕組み作りを行っています。そうした中で私自身考えるのが、「ボランティア派遣が本当に現地のためになっているのだろうか」ということです。一人よがりになっているのではないかと不安に思うこともあります。実際に現地に住む戸羽さんの目から見て、東京や他の都市からボランティアに来る若者はどのように映っていますか。

草取りとか農作業とかも、もちろんありがたいですけど、被災地を忘れないでいてくれること、忘れかけている人にそれを伝えてもらうこと。あとは活動を通してその人自身が何かを感じてもらうこと。それが一番うれしいです。
つながりを作って、例えばボランティアの参加者が10年後20年後に自分の子どもと一緒に、陸前高田を訪れるようになればいいなと思います。2万人しかいないまちなので、そんなつながりを作らなければいけないと思います。
ただ、自分たちだけでそのつながりを作ることは難しいので、そうやって学生ボランティアを送ってくれることはとても嬉しいことだと思いますし、続けて欲しいと思います。
ボランティアに限らず、旅行でも構わないのでとにかく足を運んでもらいたいです。

―陸前高田市はこれからも復興をしていくと思います。そうした中で戸羽さん自身が考える未来の陸前高田市の姿はどういったものですか。

「ノーマライゼーションという言葉のいらないまち」というものを掲げています。
こういった言葉がある内は、ノーマライゼーションが実現できていないことの証だと思うんです。実現できていれば、男女共同参画社会などと謳う必要もなくなります。
私が目指しているのは陸前高田市全体が「パワースポット」になることです。
例えば、震災でボロボロになったまちが復興して元気に暮らしているとか、障害を抱えた人たちも差別なく不自由なく暮らすことができているとか。そういった姿を通して、落ち込んでいる人、元気のない人に勇気を与えられるようなまちにしたいと考えています。

陸前高田3


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