世界の最前線―南相馬 で未来に通じるモデルを作りたい。

世界で最も高齢化の進んでいる日本。その中でも数十年後の地方の未来だといわれる南相馬。そんな”世界の最前線”ともいえる南相馬だからこそしたいことがある―― そう語るのは”夢たびと”でゲストハウスのようなコミュニティースペースをつくるなど様々な活動をしている―旅人―佐藤孝一だ。自らを”旅人”となのる彼の夢、今とこれからに迫る!! 2014.03.08

プロフィール

南相馬-「夢たびとBASE」|佐藤孝一

佐藤孝一(23): 現在拓殖大学4年生。自他ともに認める”旅人”。 震災から1年たった2012年3月に南相馬へボランティアで訪れたのを機に旅人の廣川景太(24)と出会う。この出会いが人生を大きく変えていった。 旅の魅力にとりつかれ東南アジアバックパッカー、ヒッチハイク日本一周など旅に出る。その後、廣川景太と夢たびとを結成! 現在では福島県南相馬市に活動の拠点を置きながら全国でワークショップ、トークライブ、講演会、などを通して旅の面白さや、地方の魅力を伝えている。

自分の“目で見る”姿勢

iPadで日本一周をしている佐藤孝一さん

iPadで日本一周をしている佐藤孝一さん


夢たびとを立ち上げたっきかけについて教えてください

南相馬に行ったとき、のちに一緒に夢たびとを立ち上げることになる―景太君と初めて出会ったことがきっかけでした。その当時メディアで見る”南相馬”っていうのと自分で見る南相馬にギャップがあって、元気な姿はメディアにあまり報じられない
―死の街・ゴーストタウン―とか色々な言われ方をしていました。
でも僕らは”旅人”なので、どんな所を旅するときにも、”自分の目で何かを見る”っていう姿勢をすごく大事にしていたんです。


“自分の目で何かを見る”―旅人らしいですね

自分の目で見て確かめる。そこを欠いて、親指だけの情報で南相馬を外から批判するのはおかしいって思います。だから南相馬をもっと“ポジティブな発信地”にしたいな。
もし南相馬が自分の街だとして、今の子供が大人になったとき
『あ、放射能の街から来た○○君ですか?』
とか聞かれる未来が想像できたんです。もっとポジティブな―例えば
『南相馬ってあの“××祭”の南相馬か、すごいですよね!!』
こんな声の方が大きくなったら、南相馬ってもっとハッピーじゃないですか。 強烈にポジティブなイメージを南相馬につけて、
『南相馬で”生きている”のに外からとやかく言われる』
って現状を打開したい。そこで僕らは立ち上がって南相馬でお祭りをするなり、まずは何か行動しようっていうところから始まりました。

人生のターニングポイント


最初に南相馬に行くきっかけはなんだったんですか?

拓殖大学院国際協力研究科外観(wikipedia)

拓殖大学院国際協力研究科外観(wikipedia)

僕は拓殖大学っていう国際協力で有名な大学に通っていて、“世界の恵まれない子供たちを助けたい”って夢があったんですよ。そんなことを言ってたとき、尊敬する人に自分の夢を語ったんです。そしたら
『世界のどこのだれかもわからないやつ助ける前に、まず身近なところにいる親とか兄弟とかを笑顔にしたりとか、そういうところから始まっていくんじゃね―の?いま日本だったら、お前と同じ肌の色した、同じ言葉をしゃべる同じ人種のやつが苦しんでんだぞ。お前東北行ったか?』
って。思わず『行ってきます!!』って言ったことが始まりですね。
『災害とか、自分とは全くかけ離れたところにある』
って思ってた部分もあって、それから自分の目で見に行かなきゃって決意しました。
そこで初めて南相馬に行って、景太君と出会いました。

廣川景太さん

廣川景太さん

景太君は大阪からヒッチハイクで来てて、その当時はヒッチハイクってことに衝撃を受けました。僕は旅とか興味なかったんですけど、景太君が旅人で、全然見たことない人種の方だったので(笑)すごい刺激を受けました。そこから自分もヒッチハイクを始めたり、旅に目覚めたり、ちょっとした人生のターニングポイントでしたね。


人生のターニングポイントですか。

景太君は東南アジアとかを旅したり、日本をママチャリで一周したりしていて、常に生命の危機と隣り合わせだったみたいです。例えば北海道のコインランドリーで寒すぎて洗濯物が乾かないからパンツ持って3時間立ってたとか、ママチャリで来たのにママチャリが盗まれたとか(笑)。東南アジアから帰るときにはお金がなさ過ぎて現地民族になりきって自分の毛を燃やして稼いだりとか。自分の日常とはかけ離れすぎていて、おもしろかったですね、その出会いが。

“旅人”っていうくらいだから
孝一さんも最初からファンキーなんだと思ってました(笑)

最初はもう普通の学生でした。国際協力の本をたくさん読んで、レポートを書いて、勉強…という結構まじめな学生だったと思います。将来は国際協力に関わっていく人生だったと思いますね、彼にあっていなければ。


現在、夢たびとではどんな活動をしているか教えてください

夢旅人運営メンバー
(画像をクリックすると夢たびとFacebookページへ)

夢旅人運営メンバー
(画像をクリックすると夢たびとFacebookページへ)

夢たびとでは旅をしながら講演会を開いたり、田舎に泊まろうツアーを組んだり、今はゲストハウスのようなコミュニティースペースつくりをしています。 南相馬に限らず、地方から若者が流出して、高齢化が進んで限界集落が出てくる、それによって経済が衰退…と若者がどんどんいなくなっていく。ヒッチハイクで日本一周したときにそんな地方の未来を強く感じました。
南相馬は数十年後の地方の未来があるって言われています。僕らは特にマイナスのイメージを世間から向けられているところを、プラスに、観光資源を作って若者がたくさん訪れる環境を一つ作りたいんです。そうすれば
『自分の街を守りたい』『故郷が限界集落になってしまう』
何か行動したいとき参考になるモデルになると思ったんですよ。
僕ら、東は福島から西は大阪・京都の方まで、講演会を沢山やっていたんです。名古屋では1000人の前で話す機会もあったりして。そんな中で、東北に行きたいけど行く機会がないって学生も全国にたくさんいたんですね。地域に若者がいないって現状と風化してほしくないっていうニーズと全国にいる若者たちをつなげたいっていう思いで一年前からツアーを組んだり、ゲストハウスを作ろうっていう今の活動につながりました。

夢たびとBASEの様子
(画像をクリックすると「夢たびとBASE」のHPへ)

夢たびとBASEの様子
(画像をクリックすると「夢たびとBASE」のHPへ)


南相馬―世界の最前線へ


ところで今年で大学を卒業なさいますが、来年からはどうなさいますか?

夢たびとの活動をしつつ、個人でも色々と活動していきたいと考えています。僕は“街”にもすごく興味を持っているので、もっと色々な場所を旅して勉強して、”その地域”を一通り勉強したいんです。実際に自分の目で見て。例えば、<ロサンゼルス・バンコク・福島>みたいに、今ある自分の中の視野だけじゃなくて、もっと広い視点から一つの“街”ってものを見れるようにしていきたいです。そういった中で地方の未来―というよりも”世界の最前線の街”ってものをもっと研究していきたいなって思ってます。


”世界の最前線”ですか

夢たびとBASEからの夕日

夢たびとBASEからの夕日

その当時は思ってなかったんですけど、景太君と出会ってから僕も東南アジアをバックパッカ―したんです。日本っていう国がすごい恵まれてることにも気づけましたが、それと同時に日本の高齢化や少子化が世界の最前線にあるってことも感じたんですよ。65歳以上の人口が25%で、平均年齢が45歳なんて国はどこを見渡してもなくて、でも今成長している中国とかインドでもいずれ医療が進めば日本のような問題を抱えてくるはずです。そのとき、世界で最も高齢化が進んでいる日本―その中でもさらに進んだ地方の未来をどんどん作っていかないと。世界的に注目されていると思うんです。日本がこれからどうなってくのか。 だから僕は”世界の最前線にいる”と思っているんです。日本の地方って。そういうところで何かモデルを作りたいと思います。日本全国の若者が立ち上がるような。

ピンチだからこそ、より強く。未来をつくった後藤新平のように。

後藤新平
関東大震災後に東京の帝都復興計画を立案

後藤新平
関東大震災後に東京の帝都復興計画を立案

―ちょっと復興とはかけ離れてるかもしれないんですが―でも復興っていうのは、復旧とは違うので―そのとき思いつく最善を尽くさなきゃいけないと思うんです。関東大震災で崩壊したのち、最新の建築技術を取り入れて地震にも強い『今の東京の骨格を作った』といわれる後藤新平のように。 今、東京って世界からもリスペクトされてる場所になっていますよね。というのはその基礎を災害時に作ったっていうところにあるんです。こういう時だからこそ、後藤新平のように未来に通じる基盤を作っていかないといけないと思うんです。その出発点が僕らであったらいいと思うし、そこを参考にして全国の地方の問題点っていうものを何か解決できるようなヒントを見つけたい。世界中からリスペクトされるような南相馬、リスペクトされる福島、東北―すこしずつでもつくっていけたら世界中に感動を与えるようなことだと思うので。そういう未来を想像しながら活動しています。

ボランティアがなくなるボランティア


あなたの描くボランティアの”未来図”は?

夢たびと5

最終的な極致では、“ボランティアがなくなるボランティア”をするのが一番だと考えています。というのも、ボランティアは本来自分の街をきちんとできたら必要ないものだと思うんです。 ボランティアっていうと”無償で社会活動をしていく行為”みたいな固いイメージを持っていて、”ボランティア”って言葉が先走っていてる気がします。でもまず、ボランティアそもそもの定義の前に、”その地域を好きになる”ってことが一番大事。
『福島のものを食べよう』ではだめで『福島のものは“美味しいから”食べよう!』
が普通ですよね。『”頑張って福島の為に”食べよう』はまだボランティアの域。そのラインを突破して
『ボランティアじゃなくて俺、福島のものがおいしいから食べてるんだよ』
ってみんなが堂々と言えるようにしていくのが”ボランティアがなくなるボランティア”だと思うんです。福島に行くっていう人も、
『福島が好きだから福島へ行く』
『南相馬の夢たびとがやってる夢たびとBASEがすごく面白いから福島南相馬に行く』
今すぐには無理でも、ボランティアっていう線引きなしで行けるようしていきたいです。

”第二の家族”へ、会いに行く。

ヒッチハイクする孝一さん

ヒッチハイクする孝一さん

僕らヒッチハイクをやって、日本中に家族みたいな人たちがすごく沢山できたんです。
『いつでも帰っておいで。もうここはあなたのうちだから』
って言ってもらえるような。そういうときに僕らがどうなったかっていうと、また行っちゃうんですよ。その人に会うために、地域関係なく。そこで”田舎に泊まろうツアー”みたいなものつくって、それを南相馬でやったんです。そうするとみんな、”第二の家族”を南相馬に作っていくので、僕らがいなくてもみんな南相馬に来るんですよ!そんな第二の家族を日本中に作れたらすごくいいじゃないですか!

今の活動はコミュニティースペースづくりなんですが、現地の方からしたら、若い人たちと逢える機会がなかなかないんです。だからうれしいんですよね。僕らが赤ちゃん見るとめっちゃ変な顔したりとかして、うれしくなったりするじゃないですか。それっておじいちゃん、おばあちゃんも同じなんです。自分たちの孫くらいの人と会える機会って少ないんで。だから地方の方々にも良い機会だし、逆に東京とか都会から行く人にとっても貴重な家族を作れたり、その地域のことを深く知れたり貴重な体験をできて、両方にすごいメリットがあったなと思います。 南相馬に大学がないのもあって、高校卒業後、90%くらいの人はほかの地域に行っちゃうので若者がいないんです。県外から若い人たちと、現地の人たちがつながるような場所があれば、交流が生まれて震災にあったこの地域も深く話してくれると思うんですよ。

夢たびと小さいこの絵と手紙

夢たびとBASEは津波にあった物件をリフォームしています。一つ工夫しているのは、僕らが作るのではなくて全国から来てくれた”みんなが作る”ってことです。今回は春休みに、この2週間くらいで60人くらい全国から若者が来てくれたんですよ。夏の時にも100人くらい来てくれているので、現地の人と合わせると延べ300人くらいはこの建物に、関わっているんです。ベッド一つ作るにしてもみんな初めてすることなので、『この建物は俺が作ってるぞ』みたい意に思ってもらえて。全国から来てくれた人が『自分が作っている』って感覚になれば、離れても作ったものがあれば『また来たいな』って思うじゃないですか。

これからもどんどんツアーとかをやっていきたいし、僕らが旅から得たものことをみんなにもシェア―経験してもらいたい。そこで得たものってすごく強いんでね、第二の家族との絆があると特に。ある地域にもし災害があったとき、そこに第二の家族があると気持ちの強さが違うんです。それって『応援したい』とかじゃなくて、純粋にその人たちに『会いに行きたい』っていう気持ちになってるじゃないですか。南相馬に楽しみに来る、大切な人に会いに行く…そういう感覚がいいと思うんです。


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