理由は何でもいい

◆活動報告:井上さん(中央大・4年)

参加プログラム:Youth×遠野まごころネット49期
参加日程:2013/9/15-9/22
活動場所:大槌町・盛岡市
活動内容:コミュニティカフェ開設準備・農園手伝い・台風18号の復旧作業

 

「ボランティアは基本的に自己満足だと思っている。」
事前研修において、出会ってまだ数時間しか経っていない関東組49期の皆に、自論を述べる私がいた。あの時の、「この人は一体何を言い出すのだろう…」という皆の不安げな顔が忘れられない。(笑) 

私がボランティアに参加した理由の一つは「自分の弱さを潰すため」だ。2011311日、私は日本にいなかった。海外“ボランティア”でカンボジアにいた私は、東日本に住む多くの日本人が体験した揺れを経験していない。

「初めて、死を覚悟した」
「自分の住んでいる所(東京)が震源地かと思った」

震災後、家族や友人からそのような言葉を聞く度に、あの日、日本にいなかった私が被災地に行って、気持ちに寄り添うことができるのか…というようなことをうだうだ考えていた。一度、震災ボランティアに応募して、定員割れで中止になったことも、私の腰を重くしていた。しかし断わっておくが、一緒にカンボジアに行った仲間の幾人かは、帰国後すぐに東北へ向かった。つまり、3.11から2年半が経つ現在まで、私が東北へ行かなかったのは全て言い訳に過ぎない。それに、カンボジアも、痛みを共有していない点では同じだ。カンボジアと異なり、言葉が通じる東北の方々に責められるのが私は怖かったのだ。

だからこそ、今回私が岩手県に行くのは、自己満足の側面があるのだときちんと示しておきたかった。気分を害される方々がいらっしゃいましたら、大変申し訳ございません。ただ、“相手のため”の比重が大きくなればなるほど、見返りを求めてしまうことを懸念していた。現地でどんなことがあろうと、私は頼まれたからではなく、自分の意志で行くと決意したのだということを忘れたくなかった。
聞くと、他の49期の皆も、様々な想いをもって参加を決意したようだった。それぞれの意見に共感したり、新たな悩みに唸ったりする中で、できたスローガンがこちらである。

「理由は何でもいい」

決して投げやりな感じではなく、「ここに来た理由は人それぞれだが、こうして皆が集まった。“ここに集まったこと”から始まるのだ」という意味が込められている。だが、スローガンが本当に実感できたのは、活動を始めて数日が経過してからだった。

 写真①

 

 

 

 

 

活動が終わって夕方頃、被災地を案内して頂くことがあった。釜石の悲劇といわれる、防災センターには二度訪問した。ニュースで目にしたことがある人も多いだろう。本来、避難場所ではない防災センターで避難訓練を行っていたため、津波の際も多くの人が集まり、亡くなってしまった場所である。現時点では今年の10月に取り壊しが決定されている。
そこで見たこと、考えたことがある。
2階の天井から30センチくらいの位置まで、水があがってきていたこと。天井の柱についていた泥による染み。これは、どうか子供だけでも助かってほしいと思った保護者の方が自らを犠牲として、押し上げた子供の手の跡だということ。

津波の威力を感じさせる、床板の下に挟まっていたパイプ椅子。

ご高齢の方や子供には決して登れないであろう、業者用に作られた屋上につづく梯子。

祭壇に置かれていた、「まってるよ。かえってきてね。」という子供からの手紙。

グローブやバレーボールなど、亡くなった方々の生活を彷彿とさせる、思い出の品々。

娘と、娘のお腹の中にいた孫を亡くした、ある母親からの手紙。

私が訪れた時、静まり返っていたその場所で、どれだけの悲鳴が響いたのだろうか。どれだけの人が苦痛に顔を歪めたのだろうか。繋いだ手と手がどれほど離れてしまったのだろう。東北の寒さに震え、匂いに苦しみ、どんな気持ちで広がる山々を見たのだろう。今、生き残った方々や遺族の方々は、どんな気持ちで生活しているのだろう。私と同じ日本で。
考える程に、想像する程に、私が参加を躊躇していた理由があまりにも小さいことだと分かった。私が現地の方々の気持ちに寄り添えるか?…もし日本にいたとしても、完璧に気持ちを理解することなど私にはおそらく出来なかっただろう。東北には、想像を絶する、自然の力があった。

「理由は何でもいい」

自分たちで作ったスローガンが、ようやく私は腑におちた。
被災した建物などの見学とは対照的に、日々のボランティア活動には笑顔が溢れていた。高くのぼる太陽の下では、お姫様に接するような丁寧さで南瓜を収穫し、磨いた。山々に囲まれた場所に新しくオープンするカフェの周りには、芝生の種を蒔いた。目を黄金色に染めながら、秋風の中で、稲刈り作業の準備をした。岩手の自然を体いっぱいに受けながら、ただ、誰かのために行動する喜びを改めて感じた。

普段から、誰かに生かされていることに目を向け、その幸せを噛み締め、また、誰かの支えになっていることに喜びを感じる自分でいたい。そういったことを、意識して生きる方が、私の人生を豊かにしてくれるにちがいない。遠野まごころネットのボランティアを通して得た確信である。

 

写真②